2枚のオーガンジーをつなぎ合わせて包み込み、ラッシングベルトで巻いたもの。布の重なりによって生じるモアレによって、モノがぼんやりと、水面に沈んでいるようにみえる。
そう、プールにモノを落としたときの、あの感じ。

雨の日に軒先から落ちる滴、風にゆれる水たまりの水面、それらを眺める経験は切りがない。そんなふうに、外に出るときの服選びも切りがない。だけど、コップから水があふれ出すような気持ちを受けとめて、街にでる。

ふと地下鉄の鏡で自分を見て、そのようすをまた眺める。
そんなしたたる水を受けとめるためのヨウキ。

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「…ぼくらは相変わらず、自分たちの切りのない営みが好きだ。…それではいつまでたってもなにもできあがらないのだ。たがらぼくらは一旦、自分たちの切りがない営みをも捨て、できあがらないことへの言い訳をやめてみる。そのときぼくらは、傍観者として外側から『切りのなさ』を見ている。そしてそれをただ眺めるという喜びがあったことを思い出す。そう、それらはそもそも眺めるものだ。」

「…作品が理念的に切りのないとき作り手は、このような自分たちの切りのない営みをすでに捨て去っている。…傍観者として自分の作品を眺められるところに作り手はいる。作り手は作品を見るひとたちと同じ位置に立っている、と言ったら言い過ぎだろうか。」

「そしてついには、いつの間にか忘れていた作品を見るという楽しさが、もういちど作り手のその手に戻ってくる。…ぼくらはずいぶんながいことそうしたことを忘れている。そろそろ取り戻してもよいことだ。」
(田中功起)
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Osaka , 2024
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Design:浦田友博
Manufacture:櫻本康乃
Photo:宮﨑こゆき (1-6)
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